高山善廣

プロレスブログ化が止まらない中、一番好きなレスラーについて語っていなかったことに気づいたので書こうと思います。長いですw

好きなプロレスラーは高山善廣選手です。

現在は頚椎完全損傷の重傷を負い、リハビリに励んでいます。

そもそもプロレスとの出会いは、幼稚園くらいの頃から兄がビデオでプロレス中継を見ていた時に後ろでボーッと見ていたのが最初だと記憶しています。

歴だけでいうと30年近くw

高山善廣を意識して見るようになったきっかけは全日本プロレス参戦時、ノーフィアー結成直後になるかと思います。
当時の全日本では珍しかった、試合後インタビューでのアピール等、目を惹く存在ではありました。しかしタッグとしてはベルトを持っていたりしていましたが、シングルではまだ成績を残せていない、中堅よりは扱いが上かな?という程度の認識でした。
日付は覚えていませんが、三沢が1日2試合やった日の2回目の対戦相手でしかも負けてしまい、格下扱いと変わらない事に悔しさを見せていた時、ちょっと好感を持ち、注目するようになりました。

ノア旗揚げ戦から金髪に染め上げ、その時だけの白いショートタイツはすごく似合っていたことを覚えています。

ちょっと認識が変わったのは初代GHCヘビー級王座決定トーナメントの決勝。

川田とも違う蹴り技主体のスタイル(当時はU系という言葉も知りませんでした。)
ハードヒットといえばそこまでですが、必殺技ではない技であっても日本人離れした体格から繰り出される、一撃一撃の重さが伝わる。しかも三沢のエルボーのような効かせるような打ち込み方でなくても、威力を感じるような攻撃に目を奪われました。

その頃はいつかチャンピオンになれるんだろうな、というくらいの認識に変わりました。

そして完全にファンになったのは、ノアを退団し、PRIDEに参戦した時でした。何がどうという説明はできませんが、藤田和之との試合後に「ああ、この人は本当に自分がやりたい事をやっているんだ」と強く思い、ファンになりました。

せっかくフリーになった事だし、と他団体にも参戦。爪痕を残していきます。

PRIDE参戦も継続。
セーム・シュルトに押し負けず、大振りでしたが殴りがかっていく姿勢と散り様。

そして伝説のドン・フライ戦。
直前のオファーにも関わらず、「総合用の練習でなくても、戦うための練習は常に行なっている」と受諾。
ただただ殴り合い、命を削り合うような試合。
プロレスラーからしたら、ただの我慢比べだと彼は言いました。
負けた選手の腫れ上がった顔面が称賛と共にプロレス誌の表紙を飾ったのはあれが最初で最後だと思います。

ファンとしてでも、格闘技に詳しい方ならあの試合に色々思うところはあると思います。
でもあの瞬間は誰の記憶にも残るものだったと思います。

喘息について知ったのはこの頃だったと思います。
毎日の吸入や大量の薬。
それでも蝶野正洋が称した「格闘技のマラソン」であるプロレスを団体関係なくこなしていきました。

そしてNWFとIWGPの二冠を獲ったあたりからプロレス界の帝王と呼ばれるようになりました。

ミルコ・クロコップ戦はミルコの負傷で流れてしまいましたが、その前にミルコが負傷欠場したヒョードルに対して紙面で「逃げたんじゃないだろうな?」と言っていたのを思い出してちょっと面白かったですw
ほとんどの人がミルコが勝つと予想していたとは思いますが、他と違う物を見せることにこだわっていた彼が何をするかという事に私はワクワクしていました。

インタビューではタックル以外でのテイクダウンは経験ないのでは?と分析していました。ボディスラムの名前も出ていましたw

その後、試合後に脳梗塞を患い長い欠場期間に入ります。
会場近くに病院があり、発症から手術までの時間が短く済んだ上に権威レベルの専門医がいたという奇跡が重なり、会話ができるくらいに回復するまで時間は掛かりませんでした。
そのためあまり心配していませんでした。
病気に対する知識がなかったこともあります。

徹子の部屋で発症した時の試合後のインタビューやその後の動きを見ると、明らかにおかしかったのですが、その後の事は想像できたかというと、私はできなかったと思います。

プロレスファンの悪い部分だと思います。そこは私だけかもしれませんが。
どんなに激しい試合をしてもプロレスラーは大丈夫だと。

しかし、そこからが長かった。
そこから復帰まで2年半程欠場することになります。

当たり前の話ですが、脳の病気はあらゆる後遺症を引き起こし、場合によっては死に至ることもあります。
彼の場合も食生活の見直しや、使えなくなった器官を他の場所で補う等のトレーニングを行う等、復帰を目指し、努力していきました。

リングの上でも鈴木みのるが試合後にノーフィアーポーズの合唱を行ったり、当時保持していたIWGPタッグを欠場時の対戦相手である佐々木健介に託したりするなど、プロレスへの話題も多く、きっと復活してくれると信じていました。

その後、鈴木みのるのブログなどで受け身の練習をリング上で行ったことなどを知り、復帰が近づいているんじゃないかと期待し、待ち続けました。

そして復帰が決定。
決まった時に嬉し過ぎて過呼吸を起こしかけましたw
脳梗塞から復帰したプロスポーツ選手はいないと言われていましたが、彼はやり遂げました。

復帰戦はお世話になったノアで。
組まれたカードは三沢・秋山組対小橋・高山組。

フリー選手の復帰戦とすると豪華すぎるメンバーでの復帰戦に胸が躍りました。

しかし、小橋建太に腎臓癌が見つかります。
高山のパートナーは佐々木健介に変更になりました。
ノア内でもパートナーを希望する選手もいる中、フリーの大物、しかも欠場前の最後の相手であり、タッグのベルトを託した健介が選ばれ、また健介もその時眼窩底骨折を隠しての参戦。
様々なドラマが渦巻く中試合が行われました。

入場時ロープに足が引っ掛かるアクシデントがあり、少し心配しましたが、試合は復帰戦とは思えないほどの激しさでした。
コーナーでは「小橋ー!!!」と叫んでからのマシンガンチョップからのダブルアームスープレックス→腕ひしぎ逆十字と小橋と高山のムーブを融合させ、自身の復帰戦にもかかわらず欠場したライバルへエールを送りました。
最後はは秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーと三沢のエメラルドフロウジョンを立て続けに受け高山は敗北。
しかしインタビュースペースに入るや否や「生きてるよ!」とトークも絶好調。

後の柴田勝頼の「生きてます!」にはつながってはいないでしょうがw良い言葉だと思います。

その後小橋建太の復帰戦で立ち消えになったカードが実現。
「多分自分がこういう時の気持ちは誰よりもわかってるはずだから」とパートナーを買って出た上、試合では合体技を見せるなど、この人はどんな物でも跨いでしまう人だなと改めて惚れ直しましたw

普通であれば、復帰はできても中堅ポジションに落ちてしまうこともある中、2009年に三冠ヘビー級を獲得。
メジャー3団体のヘビー級シングルとタッグのベルトを全て獲得した唯一の選手になりました。
また団体間の壁が高くなってきた中、実現できる可能性のある選手は鈴木みのるだけになりましたが、出来れば達成してほしいと思っています。

また、超花火プロレスへの参戦。
最初は否定的でしたが、観戦した際の迫力に魅せられ、参戦を決意。
初代爆破王に君臨。

福岡で行われた防衛戦で大仁田厚に敗れましたが、私はこの大会で電流爆破初体験。
生で見た時の迫力はもの凄いものがありました。
爆発の度に悲鳴を上げるほどにw
そのあとちゃっかり大仁田厚と写真を撮りましたw
そして、この大会が高山善廣を生で見た最後の試合になってしまいました。

その後、DDTに定期参戦。
アドバイザー的な立場も期待されており、試合をチェックしては後進へアドバイスをしていたそうです。

しかし、また悲劇が起こります。
頸椎損傷。
技の失敗による怪我だと伝えられていますが、技は回転エビ固め。
自分の頭を支点に前転しながら相手を丸め込む技を失敗するということや、ましてそれで怪我をするというのは普通考えられません。

ただ限界がそのタイミングで来ただけだったのでしょう。首の骨が変形していることは本人も語っていました。


搬送中、高木社長に謝っていたといいます。

その後特に発表も無く、公式発表の前に写真週刊誌が首から下が動かない状態であることを報じました。

なんと無責任な、と怒りを覚えました。

しかし、それは本当でした。
マネージャーによる病状報告。

病名は、頸椎完全損傷。医師の見込みでは回復の可能性はないと。


鈴木みのるの涙と、前田日明、高田延彦へのサポートのお願い。
高木社長も出席して、サポートを行うことが発表されました。

「高山に勇気をもらった人は、今度は高山を助けてください」と会見で鈴木みのるは言いました。

私も大会が行われる際はクラウドファンディングに参加し、サポートサイトに登録し、毎月ほんの少しずつですが寄付させていただいています。

鈴木みのるは「一度にたくさんの寄付を行うよりも長く続けることが大事であり、ポケットに残っていた1円でも募金してほしい」とのこと。
リハビリにかかる費用は物凄い金額になるようで、本来なら自宅で寝たきりというのがよくある話なのでしょうが、彼も私もそれを認めません。

少なくとも、高山善廣は自分の力でリングを降りることを望んでいます。

良くも悪くも、自分を主人公に据えてやりたいことをやろうともがいている自分の多くの部分は、高山善廣からの影響です。
責任を取ってもらう意味でも彼にはリングに立ってもらう必要があります。
彼は知らなくとも、自分はそう思っています。

もし少しでも高山善廣に力をもらった人はせめて、彼のことを忘れないでいてください。
思い出した時にでも、少しでも寄付をしてくれたらもっと嬉しいです。
ただの一ファンに過ぎませんが、何かの理由でこれを見た方へ、私からのお願いです。

募金はプロレスの会場ではなくても、高山善廣のブログや小橋建太のショップ、サポートサイトて行うことができます。

詳しくは高山善廣の公式ブログをご覧ください。

https://ameblo.jp/takayama-do/

是非よろしくお願いします。

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