何年たっても自分のヒーロー
今回はhide。亡くなって20年以上経っても自分にとってのヒーロー。自分の名前もhideなのは恐れ多い。本名が◯本秀◯なので昔からそう呼ばれてるもので。
ただ私はX JAPANは凄く好きというわけではないので、立ち位置が微妙なファンではあります。
hideとの出会い
たしかbeauty&stupidくらいで存在を認識し、ROCKET DIVEくらいでファンになりました。
メタル成分は筋肉少女帯から吸収していたのでwソロでの音楽性やギターの使い方に惹かれていきました。
Marilyn Mansonが対バンを申し込むほど、優れた音楽性やzilchのメンバーが「あいつはヒーローなんかではなく狂人だった」と言わしめる(オフショットで局部を出すような奴がw)ほどのストイックさ。
エピソードは多々ありますが本人は飄々としていて、よく分からないけどカッコいい派手な服を着て、社会貢献も当たり前のように行う。
知れば知るほど、どれだけ凄い人だったか実感していきました。
また当時では珍しくオフィシャルサイトを持ち、掲示板ではhide兄と呼ばれていましたね。
「夢と自由」
hide兄は「夢と自由」という言葉をよく使っていました。
夢を追い求めると自由ではなくなる。
自由であれば夢は叶わなくなる。
そのバランスが大事であるということであったり、そういうものなんだから頑張れという意味だったり。
hide with Spread Beaverの3部作はそれを象徴するものだったと思います。
ROCKET DIVE→若いなら何も考えず突っ走れ!
ピンクスパイダー→それでもダメな時はある。ある意味絶望の歌。
ever free→それでもそれでも人生は何度でもやり直せる。
HURRY GO ROUNDも悲しみの上に花が咲くような「再生」の歌でした。映画でもありましたね。
ちなみにSpread Beaverはある番組では「世界中どこに出しても恥ずかしいバンド」ということで「パンツ丸出し」という意味であると言っていましたが正確な訳はもっとえげつないw
ただ“ロッキンママ”東海林のり子は「彼は照れ屋だから本当は逆で絶対にカッコいいバンドだと思っている」と言っていました。
私が受けた影響
「夢と自由」もそうなのですが、一番印象に残っているのはアルバムについてのインタビューでした。
「歌モノとして成立させる部分とあとはストレス解消のバランスを考えている」
というような事を話しており、「自分がやりたいことや好きなもの」が大事であっても、それだけでなく「それを人に伝える」ための努力が必要である事を知りました。
何年たっても出来てない部分は多いのですが、「伝わるようにするための努力」は自分の基準の中に必ず入っています。
ギターも弾いていました。予算の都合もありましたが、もう一人のヒーローKiyoshiのモデルを使っていました。今も大切にしています。
他社製のクリアのモッキンバードタイプも持っています。音が硬いのは好みでしたが凄く重いw
ただ一つの不満
新しい曲が、聞けない。
過去の楽曲であっても、今でも通用すると思っています。聞いてもらえればカッコいいと思ってもらえると信じています。自身を持って勧められます。
が、今の技術や他のアーティストに触れた彼がどんなものが作れたのか、それがわからないのは非常に残念です。
VOCALOIDで製作された「子 ギャル」は賛否両論ありましたが個人的には嬉しかったし、凄く良かったと思います。
超個人的には、NARASAKIが自分の中で一番近い位置にいる人物だと思っています。接点があったかはわかりません(hide兄がラジオで言及したことはあります)し、ベクトルも違うので、本人がどう思っているのかはわからないですし、こういう言い方は失礼だとも思いますが。
もうすぐ誕生日
12月13日はhide兄の誕生日です。
何があると言うわけではないですが、何となく思い出して切なくなる日ですね。
何故か命日よりも強くそう思います。
何かを自分の手で残したくなったので、ここに書いてみました。
興味が出たら是非、彼の音楽や人生に触れてみてください。
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